釣瓶落し

季節は秋分も過ぎて、日が暮れるのがだいぶ早くなってきた。

朝の涼しい風に誘われて出かけたはずが、昼間の照りつける太陽に邪魔される日が続く。

 

都会に引っ越してきて半年が過ぎた。

齷齪働いていると、半年などこぼれ落ちる砂粒のように儚い。

近ごろ、私は一生この街に住み続けることができるのだろうか、と考えることがある。

たしかに都会の便利さをとことんまで享受しながら生活している身ではあるのだが、何もかもが満ち足りていることを、かえって鬱陶しいと思うこともある。

 

私の生まれは我が国でも端のほうの、人口7万人ほどの町である。

いま住んでいるところに比べれば十分田舎だが、周りには山と田畑しかないというほどの田舎ではない。地方都市の郊外といったところか。

少なくとも18年間はそこで満ち足りた生活をしていた。

スターバックスが無ければ無かったで特段困ることはないし、Amazonの注文品が当日に届くなど夢のまた夢といった土地でも、それを受け入れていれば何も問題ない。

 

時折、そういった環境に身を置きたくなって、少し遠くへドライブしてみる。

いつもより広い空の下で、思い切り空気を吸って、背伸びをする。

それだけで心が洗われるようだ。

 

「田舎に住みたい」と言うときは、家族とのんびりゆったり暮らそうと思って言っているのがほとんどだろうが、田舎は思っているほどゆったりしていないことは、周知の事実であろう。

ご近所付き合いを避け続けて生きていくことは難しいし、車が無ければ何もできない。

インフラが整っていなければ当然のように車も渋滞する。

電車やバスは頻繁には来ないから、余白の多いダイヤに合わせて生活することになる。

 

でもそれを愛おしいと思う瞬間がたまにあるのだ。

田舎の何が人を惹きつけるのだろう。

 

結局は無いものねだりなのかもしれないが、いろんな街に住んでみれば、あの街のここがよかったんだなと、かつての生活が小さな宝石に囲まれていたことに気がつくものだ。

 

 

近くの坂道で木陰を作っていた桜の木々も、いよいよその葉を落とし出した。

夕焼け色に染まる広場で、落ち葉を拾って語らう父と息子がいた。