春の風

三寒四温という言葉の通り、気温は波打ちながらも、着実に春を感じるようになった。

公園や街路樹の木々は青々と生い茂り、ひとたび窓を開ければ、心地よい春の風が部屋を吹き抜けてゆく。

 

4月は大変忙しいひと月となった。

忙しさは緊張感に繋がるし、余裕が失われた状態で正しい判断ができるとも限らない。

長い人生、多少なりとも忙しさの波があるのは仕方のないことであるが、キャパオーバーになるような忙しさは、できることなら御免被りたい。

 

寒さが和らいできたこともあって、近くの公園に足を運ぼうという気持ちになれる。

私は私の人生しか歩んでいないから一般的なことは言えないが、田舎暮らしが長かったこともあってか、はやり美しい緑を見ると気持ちが休まるものである。

野鳥のさえずりも心に染み渡る。

 

災害が発生すれば「自然の力は恐ろしい」ことを実感するが、そうでない穏やかな日々にあっても、自然の力は偉大なのだと感じる。

もとより、人間自体も自然の一部なのだから、自然に包容されるのはむしろ当たり前なのかもしれない。

 

これから少しずつ暑くなっていくだろう。

私は夏の暑さは大の苦手である。いつまでもこの時期の気候が続けばよいのにと思う。

 

思いを寄せること、他人でいること

3月4日と5日の2日間、NHKでは南海トラフ巨大地震をテーマにしたドラマを放映した。

一度は地震学を志した者として、あるいは職業柄、見ておくべきとは思っていたものの、録画予約を忘れていたため、NHKプラスで視聴した。

 

しかし、私は全編を見ることはできなかった。

東日本大震災を思い出してつらいと思ったからである。

 

もちろん私は当時九州にいた人間であるから、東日本大震災を体験した当事者ではない。

それにもかかわらずつらい思いをするのは何故なのか。

 

震災から4年目の春、私は宮城県の住民となった。

そこでは震災の爪痕を目の当たりにしたり、余震を経験したりすることも多く、震災を肌身では何も感じていない傍観者でいることは、もはやできなくなっていた。

4年間だけではあるが宮城で過ごしたという事実もあってか、私は復興に向けて歩んでいく被災地に少しでも思いを寄せていたいという気持ちを持つようになり、宮城を離れた後も定期的に東北を訪れる機会を設けたり、たまに震災に関連する書籍を読んだりしている。

 

わたしは今、災害にどう対応するかが問われる仕事をしている。そんな中、たかだかと言ってはなんだが、ドラマとしての災害の描写すら受け止めきれなかったことを通じて、当事者ではない立場において、思いを寄せることと同時に他人でいることも必要なのかもしれないと考えた。

他人の悲しみや苦しみに寄り添うことは必要だが、それに引きづられて自分も何もできなくなってしまったのでは、その人を支えていくことはできないからである。

うつ病の患者を思うあまり、周りの人まで疲弊してしまう、といったケースもあると聞くが、それでは共倒れなのである。

 

優しさとは強さである、とよく言うが、おそらくそれは本当である。

自分が強くなければ、他人に優しく接することはきっと難しい。

私にはまだまだ強くなる余地があるのだろうと知った。

 

あの日から12年が経過しようとしている。

 

母の思い出

昨年末、実家に帰省した際に、1970年に学習研究社が出した「標準学習カラー百科」を中古で購入した。

 

いまだ本が耐久消費財だった時代、全10巻を揃えるとなると、当時では相当の価値だったものと思う。

なんと、1970年の大卒初任給の半分近くの値段である。

※もっとも現在でも、例えば「ポプラディア第3版(全18巻)」を揃えようとすると、13万2000円するため、百科事典の価値はそれほど変わっていないのかもしれない。

 

それを2022年の私はいともたやすく、全10巻を2000円で手に入れたわけだが、なぜそんな昔の百科事典を求めたかというと、これが母の思い出の品だからである。

 

1970年、当時小学生であった母は、その母(私の祖母)が買ってきてくれたこの「標準学習カラー百科」に、世界への扉を開かれたという。

本がぜいたく品・耐久消費財だった時代、一般の家庭にあるのは、本というよりは雑誌であったという(鹿島茂[2022]「神田神保町書肆街考」筑摩書房)。

母の家庭でも、買ってもらえる本といえば、漫画雑誌の「りぼん」(集英社、1955年創刊)や、学習雑誌の「科学と学習」(学習研究社、1946年創刊。)だったようだ。

 

そんな中、私の祖母が私の母に買ってあげたのが「標準学習カラー百科」なのである。

全ページフルカラー仕立てであり、当時から本好きであったという母が釘付けになって読んだというのも、気持ちはよく分かる。

私自身も、小学生時代に小学館の図鑑を買ってもらったときには、相当に嬉しかったし、知らない世界がこんなにあるのかと、わくわくしながら読んだものだからだ。

 

擦り切れるほどに読んだという百科も、月日を経て、いつしか祖父が家の整理をした頃にはすでに見当たらなくなっていたという。

 

そしてその祖父も2013年に亡くなり、それから10年近くが経つ。

 

そんなある日、母がネットで見つけたのが、中古で売りに出されていたこの百科であった。

また読んでみたいと、当時を幸せそうに懐古するのを見て、私はなんとかしてそれを購入することにした。

 

年が明けて2日、外出先から戻ってくると、存在感のある大きく組まれたみかん箱が玄関先に置き配されていた。

腰をやりそうになりつつ和室へ運び、開封すると、母は「これこれ!」と喜びの表情。

かつての少女のようにページを繰りながら、当時の思い出を語ってくれたのであった。

 

 

釣瓶落し

季節は秋分も過ぎて、日が暮れるのがだいぶ早くなってきた。

朝の涼しい風に誘われて出かけたはずが、昼間の照りつける太陽に邪魔される日が続く。

 

都会に引っ越してきて半年が過ぎた。

齷齪働いていると、半年などこぼれ落ちる砂粒のように儚い。

近ごろ、私は一生この街に住み続けることができるのだろうか、と考えることがある。

たしかに都会の便利さをとことんまで享受しながら生活している身ではあるのだが、何もかもが満ち足りていることを、かえって鬱陶しいと思うこともある。

 

私の生まれは我が国でも端のほうの、人口7万人ほどの町である。

いま住んでいるところに比べれば十分田舎だが、周りには山と田畑しかないというほどの田舎ではない。地方都市の郊外といったところか。

少なくとも18年間はそこで満ち足りた生活をしていた。

スターバックスが無ければ無かったで特段困ることはないし、Amazonの注文品が当日に届くなど夢のまた夢といった土地でも、それを受け入れていれば何も問題ない。

 

時折、そういった環境に身を置きたくなって、少し遠くへドライブしてみる。

いつもより広い空の下で、思い切り空気を吸って、背伸びをする。

それだけで心が洗われるようだ。

 

「田舎に住みたい」と言うときは、家族とのんびりゆったり暮らそうと思って言っているのがほとんどだろうが、田舎は思っているほどゆったりしていないことは、周知の事実であろう。

ご近所付き合いを避け続けて生きていくことは難しいし、車が無ければ何もできない。

インフラが整っていなければ当然のように車も渋滞する。

電車やバスは頻繁には来ないから、余白の多いダイヤに合わせて生活することになる。

 

でもそれを愛おしいと思う瞬間がたまにあるのだ。

田舎の何が人を惹きつけるのだろう。

 

結局は無いものねだりなのかもしれないが、いろんな街に住んでみれば、あの街のここがよかったんだなと、かつての生活が小さな宝石に囲まれていたことに気がつくものだ。

 

 

近くの坂道で木陰を作っていた桜の木々も、いよいよその葉を落とし出した。

夕焼け色に染まる広場で、落ち葉を拾って語らう父と息子がいた。

 

 

旅路

 

本は心の旅路

 

有隣堂のブックカバーにはそう記されている。

 

うんうん、ほんと、そうなんだよね!

というほどの気持ちに至るほど、心の素地が育っていないのだが、

平日の仕事疲れに沈む心を、どこか広い空に放り投げてくれるような言葉だ。

 

通勤時、車窓のない地下鉄に揺られている間、スマホをいじるより本を読むことにしている。

それは単に、見渡す限りほぼすべての人間がスマホを触っていることに対するしょうもない反抗心がきっかけではあるのだが、

本を開けば広がっている、他者のフィルターを通してみる世界は、味気ない地下鉄の時間を豊かにしてくれる。

言ってみれば、私は本の中の世界を車窓としているのかもしれない。

 

 

肉体が溶けていくような激しい暑さの夏も過ぎ去りつつある。

朝晩は窓を開ければ、涼しい風が部屋を吹き渡るようになってきた。

 

街灯に照らされた樹木に住まう蝉たちが夜通しシャワシャワと鳴いていたのに代わって、いまは鈴虫たちが静かに音色を奏でている。

 

秋の夜長、優しい夜風に吹かれながら、珈琲を片手に、ゆったりと本を開いてみるのもいいかもしれない。